呉敦(ごとん):臧覇と泰山勢力を築き、呂布滅亡後は曹操に帰順する

一般武官2

呉敦の生涯を解説!臧覇一派として、呂布を支援し曹操へ帰順して利城太守となる

臧覇らと泰山勢力を形成し、呂布を支援する

呉敦(ごとん)、別名を黯奴。字と出身地は伝わっていない。
後漢末に黄巾の乱が起こると、陶謙のもとで兵を集めていた臧覇に加わり、尹礼や孫観らと行動をともにするようになった。

やがて臧覇を主将として開陽に駐屯し、泰山周辺に自前の兵を抱える一大勢力へと成長していく。
建安三年(198年)に曹操が徐州の呂布を攻めると、呉敦も臧覇らとともに呂布側へ回り、曹操軍を相手に戦った。

呂布滅亡後に曹操へ帰順し、利城太守となる

ところが頼みの呂布が滅亡すると、曹操は臧覇を見つけ出して帰順させ、呉敦、尹礼、孫観、昌豨にも出てくるよう求めた。
建安三年十二月(199年)、呉敦たちは要請に従い曹操へ帰順した。

昨日まで敵だった連中を迎えた曹操だが、その待遇はなかなか太っ腹だった。
臧覇を琅邪相、呉敦を利城太守、尹礼を東莞太守、孫観を北海太守、孫康を城陽太守に任じ、そのまま青州・徐州方面を任せている。

利城太守となった後の記録はない。

参考文献

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