陳声(ちんせい)(陳聲)の生涯を解説!孫皓の寵臣として王蕃を讒言し、愛妾の近侍を取り締まって迎えた最期
孫皓の寵臣となり、万彧とともに王蕃を讒言
陳声(ちんせい、正しくは陳聲)は呉に仕えた官僚で、字と出身地は不明。生没年は不明~273年
孫休の時代から官職に就いていたが重用されず、孫皓が即位すると寵愛を受けて中書丞に昇進した。
しかし、そんな陳声を快く思っていなかったのが丞相の陸凱である。
陸凱は孫皓への上疏で、陳声と曹輔を斗筲小吏と呼び、器量の小さい役人だと批判している。
さらに、先帝の孫休が用いなかったような人物を、なぜ今になって寵愛しているのかと、孫皓の人材登用を問題視した。
そんな陳声が何をしていたのかというと、散騎常侍の王蕃について、たびたび孫皓に悪口を吹き込んでいたのである。
王蕃といえば、先帝の孫休から才能を認められていた優秀な人物だったが、高潔で率直な性格が災いし、孫皓に媚びることができなかった。
しかも孫皓と古くから親しかった万彧も、王蕃に軽く見られていると思い込み、恨みを抱いていた。
王蕃は皇帝の機嫌を取らない。万彧は王蕃を恨んで悪口をいう。そして陳声も皇帝にせっせと悪口を吹き込む。
これでは王蕃の評判が良くなるはずもなく、孫皓は次第に王蕃を非難するようになった。
孫皓の愛妾の近侍を取り締まり処刑される
甘露2年(266年)、王蕃は孫皓が開いた宴会で斬殺された。
もちろん、陳声の讒言が直接の処刑理由だったわけではない。しかし、王蕃が孫皓から疎まれるようになった背景には、この男の告げ口もあった。
さて、その後も陳声は孫皓のもとで仕え、司市中郎将という官職に就いた。
ところが鳳凰2年(273年)、ここで陳声の運命を大きく変える事件が起きる。
孫皓の愛妾が、自分の近侍を市場へ送り込み、立場を利用して民衆の財物を奪わせていたのである。
これに対して陳声は、司市中郎将として法に従い、愛妾の近侍を取り締まった。
陳声自身も孫皓の寵愛を受けていたため、これくらいは問題ないと考えた。
ところが、取り締まりを受けた近侍の主人である愛妾が、この件を孫皓に訴えた。
話を聞いた孫皓は激怒したのである。
陳声は役人として職務を果たしただけだったが、寵臣<愛妾という法則の前では、そんな正論も通用しなかった。
孫皓は別の事件を口実に陳声を捕らえると、熱した鋸でその首を切断させ、遺体を四望台の下へ投げ捨てた。
法に従って職務を果たしたことが命取りになるのだから、なんとも理不尽な話である。
参考文献
- 三國志 : 吳書二十 : 王蕃傳 – 中國哲學書電子化計劃
- 三國志 : 吳書十六 : 陸凱傳 – 中國哲學書電子化計劃
- 三國志 : 吳書三三 : 孫皓傳 – 中國哲學書電子化計劃
- 資治通鑑/卷079 – 维基文库,自由的图书馆
- 陳聲 – 维基百科,自由的百科全书
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