文恭(ぶんきょう)とは?:諸葛亮に志を評価され、廖立から酷評された蜀の官僚
文恭(ぶんきょう)、字は仲宝(ちゅうほう)、益州梓潼郡の出身で生没年不明。
蜀の前期に仕え、丞相参軍や治中従事などを務めた。
諸葛亮は杜微へ送った書簡の中で、王元泰(王謀)・李伯仁(名は不明)・王文儀(王連)・楊季休(楊洪)・丁君幹(丁厷)・李永南兄弟(李邵、字は永南と、その兄の李朝)らとともに文仲宝(文恭)の名を挙げ、その高い志をたびたび称えていた。
廖立は文恭を向朗らとともに「凡俗の人物で文恭は治中を務めながら綱紀がない」と厳しく批判した。
参考文献
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