凡将

晋の人物一覧

楊欣(ようきん):蜀征伐で活躍するも鮮卑に討たれた涼州刺史

楊欣(ようきん、字不明)は曹魏から西晋の武官で、鄧艾の蜀征伐に従軍して甘松攻略の戦功を挙げました。晋の時代には涼州刺史として令狐宏の反乱を鎮圧した人物です。咸寧四年に鮮卑勢力と武威で交戦し、最期は戦死しました。
蜀の人物一覧

劉敏:蔣琬と並び称された才人、興勢の戦いで魏軍を退ける

劉敏(りゅうびん)は蜀漢の将で、蔣琬の外弟として知られる人物です。延熙七年(244年)の興勢の戦いで王平と共に魏の曹爽軍を迎え撃ち、費禕の援軍を得て退けました。戦後は雲亭侯に封ぜられた。正史三国志に記された劉敏の智勇と決断を解説します。
魏の人物一覧

郭循:費禕を刺した魏の降将の忠義【すぐわかる要約付き】

郭循(かくじゅん、郭脩、字は孝先)は、蜀の宰相・費禕を刺殺したことで「忠義の士」と称えられました。しかし裴松之注は、その行為を「理なき狂気」と批判しています。正史三國志を基に彼の実像を解説します。
呉の人物一覧

諸葛融:諸葛瑾の末子、兄・諸葛恪と共に滅んだ悲劇の将【すぐわかる要約付き】

諸葛融(しょかつゆう)は諸葛瑾の三男です。兄は後に太傅、大将軍になる諸葛恪です。兄・諸葛恪が合肥新城で大敗すると、孫峻が政変を起こし誅殺されます。彼は攻められ公安で孤立し服毒自殺しました。正史三国志を基に解説します。
呉の人物一覧

歩闡:歩隲の子で西陵都督が晋へ降り、陸抗に討たれた生涯【すぐわかる要約付き】

歩闡(ほせん)は呉の名将・歩隲の次子です。父の死後、西陵督として防衛を継ぎましたが、272年に召還を恐れて西陵で離反し、西晋に降伏しました。のちに陸抗に攻められて斬られ、三族も誅滅されます。正史三国志をもとに詳しく紹介します。
呉の人物一覧

沈瑩:呉の最後の戦いで見せた、牛渚の進言と青巾兵の最期

沈瑩(しんえい)は、三国時代末期の呉に仕えた丹陽郡太守です。太康元年(280年)、晋の南征に際し張悌・孫震とともに出陣し、牛渚での防衛を進言しましたた。丹陽精兵「青巾兵」を率いて奮戦するも敗れ、張悌とともに斬首されました。