劉丞:孫綝の専横に翻弄され蒼龍門で散った将軍

一般武官

劉丞を徹底解説!孫峻・孫綝・孫亮の3人の政変に巻き込まれた将軍の生涯

劉丞とは?諸葛恪の一族を誅殺で初登場

劉丞(りゅうしょう)、字は不詳、出身は不明、生没年(?~258年)
劉丞は劉承と同一人物とされ、孫峻・孫綝の時代に頭角を現した呉の将軍である。

初登場は建興二年(253年)、孫峻諸葛恪の誅殺したのち、劉丞を派遣し白都で諸葛竦を追撃して斬らせている。
孫峻死後、孫綝は劉丞を側近として重用するようになる。

孫綝配下で立ち位置と忠臣としての最後

太平元年(256年)、呂拠滕胤は孫綝打倒を目論んだ。しかしこの陰謀を察した孫綝は、劉丞に命じて滕胤を攻めさせ、これを討たせた。滕胤の三族は滅ぼされ、政局は一層孫綝の掌握下へと傾くことになる。

永安元年(258年)、孫亮は孫綝の専権に耐えかね、全公主・全尚・劉丞らと共に孫綝を誅殺しようと謀る。だが密かに計画は漏れてしまい、孫綝の弟・孫恩らが先手を取る。劉丞は捕縛され、蒼龍門外で処刑された。 その最期は、権臣に従いながらも皇帝と共に反抗を試みた矛盾に満ちた生涯の象徴であった。

参考文献

劉丞のFAQ

劉丞の字(あざな)は?

劉丞の字は記録に残されておらず、不詳です。

劉丞はどんな人物?

劉丞は呉の後期に登場した将軍で、孫綝に仕えつつ、孫亮と共に専横を排除しようとする二面性を持った人物でした。

劉丞の最後はどうなった?

永安元年(258年)、孫綝を討とうと謀ったが計画が漏れ、孫綝の弟孫恩によって蒼龍門外で殺害されました。

劉丞は誰に仕えた?

劉丞は呉に仕え、特に権臣孫綝の指揮下で活動しました。

劉丞にまつわるエピソードは?

太平元年(256年)、孫綝の命を受け滕胤を攻撃し、その一族三族を滅ぼしたことが大きな事件として伝わっています。

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