王業:皇帝・曹髦を裏切った男は、晋で栄華を極める

一般文官2

曹髦の密議と司馬昭への密告、裏切りから得た栄達

王業(おうぎょう)、字は不明、出身は武陵、生没年不詳。
ときは魏末期。皇帝でありながら実権を握れず、政権の実力者・司馬昭の専横に鬱屈していた曹髦は、側近三人「王沈・王経・王業」を召し出し、司馬昭を討伐する計画を打ち明けた。
しかし、王沈と王業はこの密議をそのまま司馬昭に「告密」する。曹髦の計画は露見し、逆に彼自身が殺されるという皮肉な結末を迎える。
結果的に、王業は忠義を選ばず、冷徹に生き残りを選び、司馬氏政権の「有能で従順な」官僚として、名前を残すことになる。

王業の「正しい裏切り」は報われた。司馬昭の死後、西晋が建国されると、王業はその新体制においても重用され、秩序維持や禁軍管理を担当する中護軍という実務的なポストに就任する。
泰始七年(271年)、名臣・裴秀が死去すると、その後任として王業は尚書左僕射に昇進する。尚書とは中央官僚機構の中枢であり、左僕射はその中でも特に実務と政策執行を担う高位官である。
右僕射には高陽王司馬珪が就任しており、王業は王族と並び立つ存在となった。
史書に豪快な武勇や決断は残さなかったが、「空気を読み切る力」で生存術を全うした官僚であった。

参考文献

FAQ

王業の字(あざな)は?

王業の字は不明です。

王業はどんな人物?

生存と適応に長けた人物とされます。

王業の最後はどうなった?

王業の没年は不詳で、具体的な最期の記録は残っていません。

王業は誰に仕えた?

王業はまず曹魏の曹髦に仕え、その後は晋の武帝(司馬炎)に仕えました。

王業にまつわるエピソードは?

曹髦の討司馬昭計画を王沈と共に密告し、皇帝殺害の遠因をつくったことで知られています。

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