1分でわかる忙しい人のための徐詳の紹介
徐詳(じょしょう)、字は子明(しめい)、出身は呉郡烏程、生没年(?~240年より前)
徐詳は孫権のもとで活躍した武官であり、外交官としても重要な役割を担った人物である。
孫権が将軍であった時代から胡綜や是儀とともに軍国の機密を掌り、劉備の白帝城出兵に対応して兵を徴集するなど、戦時の対応に尽力した。
建安二十二年(217年)には少府・都尉として魏の曹操に出使し、孫権の立場を主張して修好関係を成立させる功績を挙げた。 その後、曹丕が孫権を呉王に冊封すると、徐詳も胡綜・是儀と共に亭侯に封じられた。
さらに黄龍元年(229年)の建業遷都では侍中・郷侯に進み、左右領軍を兼任した。 軍糧を掌握する節度官の初代としても職責を果たしたことは、彼が孫権政権を支える柱の一人であったことを示している。 陳寿は彼を「使命に通じ、信任を受けた人物」と評し、孫権政権の安定を支えた功臣と位置づけている。
徐詳を徹底解説!孫権を支えた外交と軍務の功績
孫権の将軍期と徐詳の登場
孫権がまだ「将軍」と呼ばれていた頃、京口に腰を据えた。彼は胡綜を呼び寄せて書部に据え、是儀と徐詳を加えて三人で軍国の機密を預けた。 孫権にとって三人は梁や棟木、屋根を支える材木のような存在だった。徐詳はその一本であり、彼の名はこの時点ですでに政権の中枢に食い込んでいた。
曹操との外交交渉と使命の遂行
建安二十二年(217年)の春、孫権は都尉兼少府の徐詳を魏に派遣し、曹操に降伏を申し入れた。これは単なる使節ではなく、呉の立場を守りながら講和を成立させる重要な使命であった。
相手は天下を震わせた曹操。その前に立てば、多くの者は萎縮する。だが徐詳は一歩も引かなかった。
曹操は過去を懐かしむように言った。「かつて孫将軍と姑蘇の台で遊び、長洲の苑で狩りをした。あのときは満足であった。」 豪放な回想の裏には「今は俺が天下の主だ」という含みがある。
そこで徐詳は真っ向から言い放つ。「至尊を奉じて諸侯と結ぼうとされるのに、姑蘇での遊猟に耽れば、亡秦や夫差の轍を踏むことになります。天下の大事は失われましょう」。
言葉は鋭い刃のように場を切り裂いた。沈黙ののち、曹操は笑いを漏らした。「徐生、そなたは飾りではなく、本気で逆らっているのか」。そこにあったのは怒りではなく、むしろ賞賛に近い驚きだった。
結果、曹操は和睦を受け入れ、再び姻戚関係を結ぶことを約した。外交の場は氷のように冷たいが、徐詳の直言はその氷を砕いた。任務は成功し、呉は屈服ではなく「選択された和平」を勝ち取ったのである。外交官としての手腕を示した場面であった。
呉王冊封と昇進、軍務での役割
建安二十六年(221年)、魏の曹丕が孫権を呉王に冊封した。これで呉は正式に「王国」として認められた。この時胡綜・是儀・徐詳の三人もそろって亭侯に封じられる。
やがて劉備が白帝城に兵を進める。呉の兵力は不足、数を並べただけでは到底足りない。孫権は打開を求め、胡綜に各県から兵を徴発させた。集まった数は六千。数字だけ見れば小さな軍勢かもしれないが、当時の呉にとっては命綱だ。
その兵を二部に分け、解煩兵と名づけられた。左部督を徐詳、右部督を胡綜に任せる。
徐詳は軍制の中で実際の指揮を執る立場を与えられ、孫権政権の軍事体制を支える重要な役割を担った。
さらに黄龍元年(229年)、孫権が建業へと都を移すと、徐詳と胡綜は侍中に任命され、爵位も亭侯から郷侯へと進められた。同時に左右領軍を兼ね、軍権を統括する立場を任される。
そしてもう一つ、忘れてはならないのが「節度官」の創設だ。孫権は呉王時代に新たな制度として軍糧を統括する役職を設けた。漢代には存在しなかった仕組みである。その最初の責任者に選ばれたのが、侍中偏将軍の徐詳であった。
彼の死後は諸葛恪が後を継いだが、初代として制度を背負ったことこそ、徐詳への信任を物語る。言うなれば、政権の胃袋を預けられた男。これは一握りの人間しか許されない重責である。
陳寿の評価と後世の位置づけ
『三国志』の陳寿は、是儀・徐詳・胡綜を「孫権の事業を支えた者たち」と評した。是儀は清廉で誠実、胡綜は文才に秀で、徐詳はしばしば使命を果たし、三者それぞれが孫権から厚い信任を得ていたと記されている。
さらに陳寿は「広夏の榱椽」、すなわち大きな屋根を支える梁や棟木にたとえた。控えめな比喩に見えて、実は最大級の賛辞である。屋根は梁がなければ崩れる。政権もまた、彼らなしには傾いたであろう。
その後の記録によれば、胡綜は243年に没したが、徐詳はそれより前に亡くなったとされている。正確な没年は不明であるが、いずれにせよ孫権の時代を支えた功臣の一人として名を残した。
参考文献
- 三國志 : 呉書二 : 呉主伝 – 中國哲學書電子化計劃
- 三國志 : 呉書十七 – 中國哲學書電子化計劃
- 太平御覽/0069 – 维基文库,自由的图书馆
- 太平御覽/0236 – 维基文库,自由的图书馆
- 参考URL:徐詳 – Wikipedia
徐詳のFAQ
徐詳の字(あざな)は?
徐詳の字は子明(しめい)です。
徐詳はどんな人物?
徐詳は外交に通じ、使命を果たす能力に優れていました。孫権から厚い信任を受け、軍務や政務でも重要な役割を担いました。
徐詳の最後はどうなった?
胡綜が243年に没するより前に亡くなったと伝えられています。詳細な没年は不明です。
徐詳は誰に仕えた?
徐詳は終始、呉の孫権に仕えました。
徐詳にまつわるエピソードは?
建安二十二年(217年)に曹操のもとへ出使した際、孫権の立場を守るために直言し、曹操を驚かせつつも修好関係を成立させた逸話があります。
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