1分でわかる忙しい人のための歩闡(ほせん)の紹介
歩闡(ほせん)、字は仲思(ちゅうし)、出身は臨淮郡淮陰県、生没年(?~273年)
歩闡は呉の丞相の歩隲の次子であり、名将の家に生まれた武将である。父の死後、その後任として西陵を守備し、昭武将軍・西亭侯に任ぜられた。
孫皓の時代には武昌への遷都を建議し、採用されるなど、当初は信任を得ていた。
しかし鳳凰元年(272年)、召還命令を受けた際に失職と讒言を恐れ、西陵にて反乱を起こし晋に投降する。
西晋から衛将軍・儀同三司・宜都公の爵位を受けたが、陸抗の討伐により西陵は陥落、歩闡は斬首され三族が誅滅された。
唯一、洛陽に人質としていた歩璿のみが生き延びたと伝えられる。
歩闡の生涯を徹底解説!丞相・歩隲の子で西陵の乱を引き起こした名家の二代目
歩騭の跡を継ぎ西陵を継承
歩闡(正しくは步闡と書く)の父は歩隲で丞相として呉を支えた名将であった。
その次子として生まれ、赤烏十年(247年)に父が没すると、兄の歩協が臨湘侯の爵位を継ぎ、その軍勢を引き継いだ。 歩闡は西陵の守備を引き継ぎ、西陵督に任命され、昭武将軍の号を授けられ、西亭侯にも封じられている。 歩闡は「家は継げずとも、前線は任された」格好だった。
西陵は、蜀および荊州方面との交通を押さえる軍事上の要地であり、長江中流域を守る最前線であった。
その地を父子二代にわたって治めた歩氏は、呉における防衛の中核として重きをなした。
以後、歩闡は西陵を根拠地として駐屯し、父の代から続く防衛体制を維持し続けたのである。
武昌への遷都を進言
甘露元年(265年)、歩闡は西陵に駐屯したまま、孫皓に上表して都を武昌へ移すよう提案した。
鎮西将軍の陸凱は、メリットがないどころかデメリットしかないと上表して諫めたが、この進言は受け入れられ、孫皓は本当に武昌へ遷都してしまった。
歩闡はそれ以降も西陵の守りを任され、父の代から続く任地に腰を据えたままであった。
あまりに長くその地に根を張ったため、後に中央からの召還命令が届いても「いや、今さら……」という心境になってしまったのかもしれない。
繞帳督の召還命令を拒否
鳳凰元年(272年)八月、孫皓は歩闡を召し、皇帝の近衛軍指揮官の「繞帳督」に任じようとした。
これは名誉ある近衛の役目である一方、現場主義の西陵督からすれば、どうにも響きが悪い。
歩闡はこれを左遷と受け取り、「これは追い払われる前触れでは……」と疑念を深めた。
加えて、王蕃、留平、万彧など讒言や疑惑で命を落とした例も多い時代で、疑うのも無理はなかった。
さらに中央にいることによって、讒言で罪を問われることを恐れ、歩闡は命令に従わず、西陵の城を閉ざし、兵を整える決断に出た。
西陵の乱と滅亡
歩闡は命令に従わぬどころか、西陵を拠点にして呉に背き、まさかの晋への降伏を選んだ。
さらに兄・歩協の子、歩璿を洛陽に差し出して人質とし、「本気です」と晋への忠誠を示した。
晋もその意気に応え、歩闡に都督西陵諸軍事・衛将軍・儀同三司・侍中と肩書きをてんこ盛りにし、宜都公にまで封じた。
支援のために、車騎将軍羊祜、荊州刺史楊肇、巴東監軍徐胤らが出陣させる。西陵の空気は一気に北風寄りとなった。
だが、呉も引き下がらない。孫皓は名将・陸抗に討伐を命じ、西陵を包囲する。
楊肇を破り、羊祜も「これはまずい」と見て撤退する。
それでも陸抗は包囲を続け、兵糧を断ち、ついには西陵を陥落させた。
歩闡は捕らえられて斬られ、三族すべてが処刑された。
ただし洛陽にいた人質の歩璿だけは助命され、生き延びたという。
この戦いは泰始八年(273年)の初頭に幕を閉じた。
歩隲・歩闡の二代にわたる西陵の統治はここで終わりを迎え、歩氏の地位もここに尽きた。
参考文献
- 三國志 : 呉書七 : 步隲傳 – 中國哲學書電子化計劃
- 三國志 : 呉書三 : 孫皓傳 – 中國哲學書電子化計劃
- 三國志 : 呉書十三 : 陸遜傳 – 中國哲學書電子化計劃
- 資治通鑑/巻079 – 维基文库,自由的图书馆
- 建康實錄 : 巻第三校勘記 – 中國哲學書電子化計劃
- 参考URL:步闡 – Wikipedia
步闡のFAQ
步闡の字(あざな)は?
字は仲思(ちゅうし)です。
步闡はどんな人物?
歩闡は名将・歩騭の子であり、父の後を継いで西陵を守備した武将です。
政治にも関心があり、孫皓に対して遷都を進言した人物として知られています。
步闡の最後はどうなった?
鳳凰元年(272年)、召還命令を拒み西陵で反乱を起こして晋に投降しました。
のちに陸抗の攻撃を受けて敗れ、斬首されました。
步闡は誰に仕えた?
呉の孫権・孫亮・孫休・孫皓の時代に仕え、最後は孫皓の治下で西陵督を務めました。
步闡にまつわるエピソードは?
甘露元年(265年)、孫皓に上表して武昌への遷都を進言が採用され、実際に遷都が実現しました。






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