向朗:馬謖を選び諸葛亮に怒られた文臣の静かな晩年【すぐわかる要約付き】

向朗

1分でわかる忙しい人のための向朗の紹介

向朗(しょうろう)、字は巨達(きょたつ)、出身は襄陽宜城、生没年(?〜247年)

蜀の学者官僚として知られる人物である。青年期には司馬徽に師事し、徐庶・龐統・韓嵩といった名士たちと交流を結んだ。後漢末の混乱の中で劉表のもと臨沮長を務め、劉表の死後に劉備へ帰属した。劉備が荊州南部を平定した際には秭帰・夷道・巫山・夷陵の軍民を管理し、益州攻略後は巴西太守、次いで牂牁・房陵を歴任する。

蜀建国後、劉禅の代に歩兵校尉・丞相長史などを務め、諸葛亮の南征時には後方事務を担当した。建興六年(228年)の第一次北伐では馬謖の敗北を事前に察知しながら報告を怠り、諸葛亮の怒りを買って免官された。後に復帰して光禄勲・左将軍に昇り、封侯を受けたが、政務から距離を置いて学問に没頭した。延熙十年(247年)に没するまで、経書の校訂と蔵書に生涯を費やした。

👉 もっと知りたい方は続きをご覧ください

向朗の生涯を徹底解説!司馬徽に学んだ誠実官僚が友情を優先し諸葛亮の怒りを買った悲劇の決断

司馬徽門下での学びと人脈形成

向朗の若き日は、儒学と人格の修養に明け暮れていた。
司馬徽という怪しげで仙人めいた人物の下に弟子入りし、龐統、徐庶、韓嵩らと机を並べた日々は、まさに後の蜀漢を下支えする布陣を築いた青春時代だった。
当時の襄陽は知の十字路であり、奇人・変人・秀才が渦巻くカオス。そこで培われた向朗の姿勢は、派手さとは無縁だが、まっすぐで粘り強いものだった。

向寵の叔父としても知られるが、本人は戦よりも統治に向く性格。
政治の場でも、学問の場でも、一貫して”正道”を重んじる。こうした人物が人脈と信頼を蓄えたのは、まさにこの時期だった。

劉表政権での初任と劉備への転属

劉表は向朗の才能を認め、臨沮長に任じていた。
建安十三年(208年)、劉表が亡くなると、荊州の政局は混乱したが、向朗は劉備陣営に合流し、わずか数年でその能力を買われて秭帰・夷道・巫山・夷陵の四県を一括して統治するという破格の処遇を受けた。
このエリアは、長江上流の要地であり、軍政両面の手腕が問われる現場。つまり、信頼と期待のセット売りだ。

その後、劉備が益州を平定すると、向朗は巴西太守に就任。
さらに牂牁・房陵といった山岳地帯へ転任するが、これは左遷ではなく、逆に「どこを任せても安心」という印のようなものである。

諸葛亮との確執:馬謖事件と長史免職の真相

向朗の経歴において、最も苦いページがこの事件である。

建興六年(228年)、諸葛亮の第一次北伐が始まる。
その要衝・街亭の防衛を命じられたのが馬謖であったが、彼は命令を無視し、山上に布陣した末に敗走。蜀軍は大敗を喫した。
このとき、長史・向朗は、馬謖が軍を見捨てて逃げ出したことをいち早く知っていた。だが、旧友としての私交を理由に、あえて報告を控えた。
その態度に激怒した諸葛亮は、向朗を長史から解任し、成都に送還したという。

失敗を報告せず、友情を優先したその判断は、結果として諸葛亮の信頼を失った。
彼の信義と人情、それ自体は非難されるものではないかもしれない。
だが戦時における統率の原理は、もっと冷酷なものだ。忠臣であっても、情で仕事を歪めれば、それは失格になる。

晩年の書と教養:典籍校正と人材育成の静かな功績

第一次北伐での馬謖敗走事件に連座し、政務の場から退いた向朗だったが、数年後には光祿勳として復職を果たしている。
さらに諸葛亮の死後には左将軍に転任し、顯明亭侯に封じられるなど、形式上の昇進は続いたが、本人は政務から距離を置き、静かに学問に身を委ねた。

延熙十年(247年)に没するまでの約二十年間、向朗は時事に口を挟むことなく、門戸を広く開いて後進の教育に力を注いだ。
年近く八十にしても誤字脱字を自ら校閲し、典籍の謬りを正す姿は、まさに蜀における学術の灯火を静かに守り続ける存在であった。

その家には大臣も童子も等しく集い、時局ではなく書を語り合う、喧騒から隔絶された学問の聖域と化していた。

参考文献

向朗のFAQ

向朗の字(あざな)は?

向朗の字は巨達(きょたつ)です。

向朗はどんな人物?

学問を愛し、温厚で誠実な性格の人物でした。特に晩年は典籍の校訂に心血を注いでいます。

向朗の最後はどうなった?

延熙十年(247年)に没しました。晩年は政務から離れ、学問に専念して静かな最期を迎えました。

向朗は誰に仕えた?

劉表に仕えたのち、劉備・劉禅のもとで蜀漢に仕えました。

向朗にまつわるエピソードは?

第一次北伐の際、友人であった馬謖の敗走を知りながら報告せず、諸葛亮の怒りを買って免官された事件が知られています。

関連記事

コメント

タイトルとURLをコピーしました