1分でわかる忙しい人のための趙達の紹介
趙達(ちょうたつ)、字は不詳、出身は河南、生没年(?~?)
趙達は後漢末から呉にかけて活動した人物で、特に卓越した算術と占術で知られた。幼少より漢侍中の單甫に学び、緻密な思考と学問の探求心を身につけた。世に乱が起こる兆しを読み、江南に王者の気があると考えて渡江したとされる。彼は「九宮一算」と呼ばれる術を修め、蝗の飛来や隠れた物の所在まで正確に推測することができたという。
また、日常においても酒や肉の所在を言い当てる逸話や、虚数の書簡を見破る話が伝わっている。しかしその秘術を頑なに秘匿し、弟子入りを願う名士たちにもほとんど伝えなかった。
孫権に仕えて遠征の際に計算を行い、孫権の帝位の在位年数を占って喜ばれたが、術の核心を語らなかったために高位には至らなかった。
晩年には自らの死期を算出して家族に告げ、実際にその通りの時期に没したという。死後、書物も残されず、彼の法術は絶えてしまった。同時代の才人と並んで「八絶」の一人に数えられた。
趙達を徹底解説!八絶の一人として戦の推算、孫権の評価から秘術消失まで
趙達とは?出自と学問への専心
趙達は河南の人。若くして後漢の侍中・單甫の門に入り、書巻と沈思のなかで学問に身を投じた。緻密な思考と深い考察は、やがて彼の眼差しに時代そのものを映し出すようになる。
「東南には王者の気がある」まだ誰もが乱世の足音を遠雷と思っていた頃、趙達はそう語って江を渡った。知識は避雷針ではないが、嵐を読む羅針盤にはなり得る。彼の判断は、学者というより生き残る者の勘に近かった。
こうして趙達は、理と直感を両手に抱えながら、南方の地に歩みを進めたのである。
九宮一算の術と驚異的な占算能力
趙達は「九宮一算」の術に通じ、その妙理をきわめていた。いかなる場でも、盤も紙も用いず、指を折るまでもなく即座に答えを出す。その速さと正確さは、まるで心の中にそろばんが仕込まれているかのごとくであった。
飛蝗(バッタやイナゴ)の群れが空を覆えば、その数を推して外さず、隠れている人の居場所を占って突き止めることができた。まるで千里眼と算盤が一つになったようだと、人々は舌を巻いた。
ある日、彼の術を疑う者が「空を飛ぶ虫の数など、誰が確かめられようか?ただの口から出まかせだろう」と言った。趙達は答えず、その者に小豆を数斗ぶん撒かせた。自ら数え終える前に、彼は即座にその数をぴたり一致させる。挑戦者は顔色を変えて立ち尽くしたという。
日常での神技的な応用と逸話
趙達が知人の家を訪れたときのこと。主人は簡素な食事を出したあと、少し申し訳なさそうに「急なことゆえ、酒も佳肴も用意がなくてな」と詫びた。
趙達は笑って箸を盤の上で交差させ、「いや、東の壁の下に美酒一斛と鹿肉三斤、ございますな」と言ってのけた。
座には他の客もいたが、そのうち何人かは主人の内心を知っており、内心ギクリ。
主人は顔を赤らめ、「卿が物の有無を射抜くと聞き、試してみたのだが……見事その通りとは」と苦笑い。ほどなく酒と鹿肉が食卓に加わり、一同で愉快に杯を酌み交わしたという。
また別の日には、空の倉に「千」や「万」など膨大な数字を書いた巻物を封じ、「この中身を占ってみよ」と試された。趙達は少しもためらわず、「これは名ばかりで中身は空っぽ」と一言。開けてみれば、確かに数字があるだけで、倉には何もなかった。
その術の精妙さは、単なる数字遊びなどではなく、まさに「見えぬものを見る」領域に達していた。
秘伝を伝授しなかった趙達
趙達の術は、まさに門外不出のブラックボックス。闞澤や殷礼といった名だたる儒者が教えを請いに来ても、「うむ、よろしい」と頷いたかと思えばそのまま茶を濁し、結局誰にも伝えなかった。
そんな彼のもとに、若き太史丞・公孫滕が弟子入りした。熱意は人一倍、根性も十分。歳月をかけて仕え続けた結果、ある日ようやくチャンスが訪れる。趙達はふとした折にこう言った。
「わが家の術は、祖父の代から帝王に仕えんとしたが、三代続いて太史郎どまり。要するに、出世しないんだよこの術は」
それでも公孫滕の熱意に打たれたのか、趙達はついに素書二巻を取り出し、「これを写して読めば、奥義がわかるだろう。数日後に語り合おう」と約した。
公孫滕は歓喜して帰宅し、約束の日に再び門を叩く。ところがそこで待っていたのは、「女婿が来て、あの書を盗んでいったに違いない。」という実質の破門宣告であった。
以後、趙達は口を閉ざし、ついにその術は完全な「秘伝」となったのであった。
孫権との関係と評価の低迷
出陣のたびに、孫権がまず命じたのは「兵糧の準備」ではなく「趙達を呼べ!」だった。彼の推算は毎回ピタリと当たり、出先での天候や敵の動きまでズバリと読み抜く。もはや軍神か、はたまた歩く天気図か。
しかし、「その方法はどういうものか」と孫権が尋ねても、趙達は「企業秘密です」という一言。結果、孫権は「使えるが、信用できん」となり、以後、抜群の的中率にもかかわらず彼の地位はパッとしなかった。
『呉書』には、孫権が皇帝の座に就いたとき、「オレの帝位は何年持つ?」と得意げに聞いた。
趙達は即答した。「高祖(前漢の初代皇帝・劉邦)の建元十二年の倍です」
孫権は満面の笑みを浮かべ、周囲も「さすが天意!」と盛り上がり、場は一気に祝賀モードへ。しかも、実際にその通りの年数で終焉を迎えた、という逸話が残っている。
※細かいことだが実際の孫権の在位は23年です。
術者としての思想と死の予言
「星を見るより、数字を見ろ」。
趙達は、夜な夜な星を仰いで吉凶を占う占星家たちを横目に、こんな皮肉を口にしたという。
「算を使えば、わざわざ外に出なくとも天の理は掌に収まる。寒い夜に震えながら北斗を探すなんて、まったく非効率だ」
彼は日々、静かな部屋にこもって数字とにらめっこ。自らが信じた「九宮一算」の精度を、孤独と静謐の中で鍛え続けていた。
そんなある日、趙達はとうとう自分の寿命を算出してしまう。
「私はこの年の、この月、この日に死ぬ」
聞いた妻は泣き崩れ、「そんな縁起でもないことを!」と悲嘆に暮れた。
気まずくなった趙達はすぐに軌道修正「いや、さっきのはちょっとズレてた。あと数年あるかも」しかし、彼は予定通り、まるで帳簿を閉じるように静かにこの世を去った。
「数字は嘘をつかない」
彼の人生は、まさにその言葉通りに終わったのである。
秘術の消失と八絶の評価
趙達が亡くなると、孫権は「さて、あの天才の秘伝はどこだ?」とばかりに、書物を探させた。
娘に問い詰めても「さあ、父は何も教えてくれなかったんです」と首をかしげるばかり。
仕方なく棺を開けてまで探したが、出てきたのは遺体だけで「九宮一算」の秘術は、文字通りこの世から消えてしまった。
『呉録』によれば、当時の呉には各分野に天才が集っていた。書の皇象(字は休明)、囲碁の厳武、夢占いの宋壽、絵画の曹不興、相術の鄭嫗、そして術の劉惇・呉範・趙達の8人を人々は敬意と畏れをこめて「八絶(はちぜつ)」と呼んだ。
なかでも趙達は、「数字で未来を読む男」として一目置かれていたが、その奥義は彼とともに土の下へ。
「名人は技を墓に持っていく」という格言があるなら、それは間違いなく彼のためにある。
参考文献
趙達のFAQ
趙達の字(あざな)は?
趙達の字は伝わっていません。
趙達はどんな人物?
趙達は九宮一算の術に長じ、蝗害や隠伏を言い当てるほどの計算能力を持つ人物でした。秘術を秘め、他人に伝授することを避けた点も特徴です。
趙達の最後はどうなった?
自ら寿命を算出し、その期日通りに死去しました。死後も書は残らず、法術は絶えてしまいました。
趙達は誰に仕えた?
呉の孫権に仕え、遠征や天子の寿命を算出する役目を果たしました。
趙達にまつわるエピソードは?
知人宅で酒や肉を的中させる逸話や、豆を用いて数を即座に算出した話が有名です。
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